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京都大学名誉教授 / 共創Lab顧問 岡田 憲夫
2023.09.20

共創するコミュニケーションの場のデザインを目指して (その1)

「共創する知力ベクトル」の発動を予感させる試み

2023年7月13日に、「共創セミナー -災害に強い観光地づくりに向けて-」がオンラインで開催されました。応用地質株式会社とJTB総合研究所との掛け合い (共同) 主催というのもユニークな試みだったと思います。一見すると異質な「災害」と「観光」というテーマと、専門性を掛け合わせた議論もチャレンジングだったと思います。

かねてより私は、「災害に強い観光地づくり」のような複合的・総合的なテーマこそが21世紀における都市地域づくりの先進的かつ急務の検討課題であると唱えてきました。そしてこのようなニーズに応える上で応用地質に設立された共創Labの役割と課題は大きいはずです。これまで応用地質が培ってきた多角的な知識技術の集積を基盤にして、時代のニーズに応える複合的・総合的な新機軸ビジネスの展開のための「共創する知力ベクトル」を少しずつ創発していくことが期待されます。

このような掛け合いのセミナーは自然発生的に生まれることはありません。そこには共創Labと相手側の異業種組織 (今回はJTB総合研究所) の関係者の双方からの働きかけと努力があって初めて可能になったに違いありません。あくまで一つの小さな試みですが、このような異業種組織のコラボレーションによる複合的・総合的問題への取り組みを、今後も継続し発展させるための課題とは何か、思いつくことを2、3述べてみたいと思います。

複合的・総合的なテーマに戦略的に向き合う共創Labのアプローチ ... 都市・地域づくりと五層モデルの有用性

都市・地域づくりの議論の難しさ

2023年7月13日の共創セミナー (応用地質株式会社×JTB総合研究所) の結びに当たって、共創Lab 井出 修 所長は、包括的な議論の整理と今後の展開を考えていく上で、「都市・地域づくりの五層モデル」の見立てを活かせるに違いないと示唆しました。時間の関係で、そこでセミナーは終わりましたが、私は、このポイントを少し押し広げ、共創Labの役割を挑戦と結びつけて述べてみたいと思います。

その前に、このコラムではより一般的に、なぜ五層モデルが都市・地域づくりに関わる複合的・総合的なテーマを議論するために有用なのかを述べておきます。

「五層モデル」とはもともと、私が中心になって進めていた智頭町 (鳥取県) などのまちづくりの取り組みの中で、四半世紀を掛けて考案し発展させてきたものです。

実際の地域に入って「まちづくり」をそこの人たちと話し合うとしましょう。そもそも皆が言う「まちづくり」とは何なんだろうかと分からなくなることがよくあります。『まちは全体としてこうやって出来ている』、『まちは「ここ」や「そこ」が整っていなくて、全体としてこんなふうに住み良くない』、だから『「ここ」と「そこ」をこのように整えるとこんなふうに住み良くなる』​と普通の人たち (住民) がおのおの話しだすのです。それは、とても良いことだと思います。

でも、各自の頭の中にある「まちのすがた」や「ここ」「そこ」とは具体的に何なのでしょうか?やっかいなことに各自が指している「まちのすがた」は「物理的に存在しているまち」そのものとも一致していないことが多いのです。しかも人によって異なっています。そのずれも認めながら、共通の目指す「まちのすがた」に絞り込んでいくことが肝心なのです。

「まちのすがた」をビジュアル化 (見える化) する見立てモデル ... 五層モデル

そこで「まちのすがた」をビジュアル化 (見える化) する見立てモデルを私が中心になって考案し、約30年をかけて他の研究者とも改善してきました。それが【図1】に示す五層モデルです。

【図1】都市・地域を五重の塔に見立てる「五層モデル」

興味深いことに、田舎の集落 (コミュニティ) に住む人にとって、「小さな風景が共有できるコミュニティ」=「小さなまるごとの生きたまち」が実在しています。だからこのような見立てモデルが案外と実感できるようです。そもそも大自然 (第一層) の中に住んでいるという感覚があり、外の人には見えなくても、集落の人たちは地域の風習や伝統、約束事など (第二層) に通じていないと生活できないことも分かっています。集落と他の地域をつなぐ大きな道路 (第三層) や、集落の中の小さな道路と区画、家々などが全体として集落の街並み (第四層) を形成していることも体感しやすく、日々の生活 (第五層) がこのような「まちのまるごと」に支えられていて人々はそこに包まれて生きているのです。「小さな風景が共有できるコミュニティ」=「小さなまるごとの生きたまち」と私が呼ぶのはそのような小さな五層モデルが体感できるコミュニティのことです。

しかし、大都市となるとこうはなかなか行きません。居住と職場、学校などが日常的に切り離されているのが普通であり、居住する地域のコミュニティが実質的に機能していません。だから大都市では「まちのすがた」の共通のイメージを実感をもって議論することはとりわけ難しいのです。このような場合こそ「まちのすがた」をビジュアル化 (見える化) する見立てモデルである五層モデルの出番です。そして具体的なケースでいろいろな専門家も交えて学習し合うミーティングを重ねていくことが不可欠なのです。その場合のポイントとして、大都市であっても具体のエリアは小さく、そこに関わる人たちが体感できる程度の空間スケールに落とし込んでおくことが有効です。

都市・地域の専門家の「都市・地域知らず」を克服する継続的・系統的試み

実はここがこのコラムの一番のポイントになりますが、都市・地域の専門家と見なされ、また自身もそう自覚している「私たち個別化した専門家集団」が、思いのほか「都市・地域知らず」だということです。五層モデルを示すと、細かい点では反論があっても、概要では「まあ、都市・地域を包括的に捉えるとそんなものかな」と専門家なりに納得します。しかし、その各個別の専門家がその全体を捉えて日ごろ仕事をしているかとなるとそうではなく、その「個別化された部屋」の中でのみ仕事をしていて、そのことにすら気づいていない人たちもいるのです。

大学の専門教育・研究の通弊

私は長年にわたって大学で教え、研究してきました。そこでは残念なことに、ますます専門の細分化、精緻化が進み、「都市・地域知らず」のまま学生が巣立っていく傾向にあります。【図1】の五層モデルで説明すると、土木工学や社会基盤工学を専攻する学生は、主として第三層=社会基盤の層で閉じた知識・技術を修得する傾向にあります。大学院になればより「個別化された部屋」に閉じこもり、建築学を専攻する人たちは第四層=建築空間に限定されていきます。ただ、第四層=土地利用でもあり、ここは土木工学や社会基盤工学とも重複します。実務性の高い都市計画学はこの意味で第四層と第五層の2つの層にまたがる学びを必要としているのです。さらに言えば、計画法制度の関りから、第二層=法制度の学びも不可欠ですが、ここに傾注した教育・研究は工学の中では重視されているとは言い難いのです。

そして第一層、つまり大自然に代表される自然環境の知識・技術の修得は都市・地域に関わる工学では軽視されてきたように思います。理学や農学、環境学、地理学などがもっぱらカバーしてきたところでしょうか。

第一層の重要性は、自然災害の発生や気候変動などを検討する上でますます高まっていきます。そしてその影響と対策を議論するためには、第五層=生活から第二層=社会制度・慣習・文化の各層にわたって多層的、縦断的に結びつけた包括的なアプローチが求められるのです。せめて小さな実フィールドで五層モデルの見立てを使いながら、「生きた都市・地域のまるごと性」を体験する実演習が必要だと思います。これは共創の重要性を体得するガイダンスとなるのではないでしょうか。

専門家集団が切り開くべき「共創する知力ベクトル」と共創Labの役割

世の中で様々な経験を積んだ​専門家集団を上記のような大学を出たばかりの専門見習いの学生たちと比較することは意味がありません。専門性の質も幅もレベルも比較にならないからです。ただ逆説的であるが、多様な仕事や現場の体験を経て求められる専門性がどんどん個別化し、特化してしまっていることはないでしょうか。クライアントの典型的な要請がますますそれに拍車をかけることも考えられます。その中で気づかないいうちに、一人ひとりがますます「個別化された部屋」に閉じこもってしまっていることはないでしょうか。求められ必要だからそうなるのですが、時には原点に立ち返ってみてはいかがでしょうか。「都市・地域」に関わる専門家を目指しているのに、はた目から見ると「都市・地域知らず」になってはいないだろうか?細かい路地を貫くような「解析知力ベクトル」を磨くあまり、五層モデルのような「共創する知力ベクトル」の包括的な見立て力を養うことから遠ざかってはいないでしょうか?

確かに、いつも共創知力のベクトルに注力することは難しいことです。すべての専門家にそのような力配分を求めることも現実的とは思えません。要は、時と機会とテーマしだいで、共創知力のベクトルを創発・増進することができる「共創するコミュニケーションの場」が整えられていて、少数でも「場の回し役」という知のスペシャリストが、その場のデザインを育てていくのが良いでしょう。私見ですが、そのような共創Labの姿がイメージできます。そしてその役割の見える化と共創する知力ベクトルの方向性を見て取る羅針盤ツールとして五層モデルを活用してもらえれば嬉しく思います。

結びに代えて:異業種交流によりサイロ化から脱却する

五層モデルの意義を言い換えてみましょう。時代のニーズに応える複合的・総合的な問題に対応するためには、もろもろの様々な専門家や当事者たちが知識技術 (穀物) を協力して蓄え、ブレンドし、発酵させていかなければいけません。そのための「共創の知力 (ベクトルの) 合成の塔」を築いていくには五層モデルのような見立てが有用なのです。では、その反面教師的な見立ては何なのでしょうか?それが「サイロの塔」モデルです。それを2015年に初めて世に問うたのが Tett, Gillian の著書 (The Silo Effect: Why putting everything in its place isn't such a bright idea (English Edition) . Little, Brown Book Group.) です。

「サイロの塔」とは何でしょうか?世の中は実体として、各層のサイロは閉じていて、そこに単一の穀物が詰め込まれています。各層と層との間には有機的なつながりがなく全体を貫く通路も柱もありません。さらにまずいことにこの「サイロの塔」は上にいくほど大きくなる逆三角形の形をした不安定構造になっていて、建っていること自体が奇跡的なのです。しかもそのことに誰も気づいていません。

お気づきかもしれませんが、これはまさに五層モデルの天地を逆転させたアナロジーなのです。そうならないように、各層が有機的につながった五層モデルのような多彩な知識技術の交流が肝心です。

著者のTettはケンブリッジ大学で文化人類学の学位を取り、チベットでフィールド研究をした後、(当時のソ連領であった) タジキスタンのコミュニティに入って婚姻形態の研究をしていました。共産党の支配下にあってもイスラム文化に裏付けられた婚姻形態がどのように生き延びたかを研究していたのです。その後に就職したのがまったく専門外のジャーナリストの世界でした。ジャーナリズムを専門として就職した同僚たちの中で、ひときわ「浮いた存在」でした。

しかし、2008年にニューヨーク発の世界的な金融危機 (リーマンショック) が起こり、その後、社会的深層を究明する報道において彼女の「分野横断的体験と包摂的な観点」が威力を発揮したのです。経済学や金融の知識だけでは解明できない、ジャーナリズムの専門知識でも解き明かせない、もっと横断的で基本的な原因が鍵であるという直感に基づく解明でした。つまり、21世紀の超近代的な都市に居る人々は「サイロ」に入っていて、互いにコミュニケーションを怠り、全体が見えていない危険性に気づいていないのです。このような「人間行動の落とし穴」や「社会文化」の構造を理解しないと根本的な解決にはならないのです。タジキスタンのコミュニティの人たちの方が生き抜くしたたかさの知恵と視点を持っています。ニューヨークの華やかで近代的な都市に住む人たちの方が、生きる知力においてはるかに劣っているのかもしれません。実に皮肉な話です。

21世紀に生きる私たち専門家たちが自身のサイロに入り込み、もっと大きな社会や世界が見えなくなっていることに、誰も気づいていないのです。

このようなとき「分野横断的体験と包摂的な観点」ができる人たちの存在は有難いです。しかしもう一つ効果的な方法があります。異業種交流を促進することです。そのための共創の交流の場のデザインが、いまほど求められている時はないのです。